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私のこと

プロフィール

プロフィールをご覧いただきありがとうございます。

あまりいきなりお話しすることではありませんが、私は今まで逃げ回って生きてきました。
ですが逃げ回って生きてきた今、結果的にはとても幸せなので逃げることもひとつの生きる手段だなと自分に言い聞かせております。

我々の祖先は原始の時代より狩猟と採集を生きる手段としてきました。
危険を冒して狩りに出て、勇気のあるものは率先して大きくて凶暴な動物に立ち向かい、勇気のないものは狩りをするふりをして逃げていました。
勇気のある人間たちは命を落とした人もいたでしょう。
でも我々はこうして逃げて来た人たちの子孫だ、と考えれば逃げることも堂々とした生きる手段なのです。

という訳で今回は堂々と

  • 逃げ回って来たサラリーマン時代
  • 会社に行けなくなった(鬱になった)妻子持ちのサラリーマンがどう立ち直ったか?

についてお話しいたします。

結論を申し上げますと、歩いて走り続けて来たから幸せになった、カッコよくなりました。自分に自信が持てるようになりました。

キャプテンを断る(逃げポイント1)

私は小さい頃から野球やサッカーをやっていて高校まではずっとキャプテンをしておりました。

大学ではラクロス部に入りましが、キャプテンの辛さから逃れようとまずはここで思い切ってキャプテンを断りました。
特に高校時代のキャプテンでは色々なことがありましたのでそれがトラウマだったのかもしれません。

大学ではほとんど勉強せず部活ばかりしていました。先輩、同期には大変恵まれ本当に楽しい大学生活でした。
当時はよく「毎日会社に行かなければならない時が来るんだな」と同期と話していた記憶があります。明らかに仕事をしたくなかったんでしょうね。

パイロットになろうと航空大学校の試験を受けるも筆記試験は受かるのですが、身体検査で落ちるという挫折も味わいました。(2年連続)
就職の前にニュージーランドへ語学研修も行き、素敵なホストファミリーに出会いました。

挫折もありましたが夢のような大学生活も終わり、ようやく就職のことを考える時期が来ました。
何となく英語が使える物流会社を狙って面接を繰り返し、ここでも難なくある物流会社へ早々に就職を決めます。

徹夜が続いたプレゼン準備と苦手な上司(逃げポイント2)

就職後人事部、商業施設の立ち上げ、観光会社への出向、観光営業と物流以外の部署でゼネラリストとして育てられた私は、特に物流でなければダメとは思っていなかったため、クリエイティブなことからテナント誘致や施設への集客営業までそれなりに楽しみながら仕事ができておりました。

とにかく同期や先輩に恵まれたんですね。商業施設の立ち上げの時は結構夜遅くまで仕事をしておりましたが、先輩たちと一緒にいるのが楽しくて、若かったこと、まだ結婚していなかったこともありますが、辛いと思ったことは一度もありませんでした。

そして入社6年が経った時ついに本業の物流部門に異動になり、そのタイミングで結婚しました。
1年後子供が生まれ「よし、これからだぞぉ!」と張り切っていたのもつかの間、私がいる部署が大きなお仕事をすることになり毎日毎日その案件に向けての現状調査、改善点調査、プレゼン資料作成、プレゼン練習で徹夜に近い状態になりました。
着替えに帰ってまたいつも通り9時に出社する・・・

おまけに担当役員が若干その時代には珍しく?少々キビシイ方で過去について行けない社員もいたりいなかったりという噂も・・・
私は当時30歳ぐらいのまだまだヒヨッこだったので直接害はなかったのですが、振る舞いを見ていても気持ちよいものではありませんでした。
また当時私がいた部署は会社でもコアビジネスとして位置づけられていたので、このプレゼンがうまく行っても行かなくても、「全国にホテル住まいになりそうだぞぉ」という噂もありました。私のような元気な若造にはぴったりの仕事だったのでしょう。
(恐らくそんなことはないのでしょうが)

子供が生まれて、徹夜が続き、会話も少なくなり、声も小さくなり・・・
「これは無理だ・・・このままでは身体を壊す・・・」と妻に相談というかボソッとこぼしてしまいました。

天使の声「いいじゃん!辞めれば!」

妻の言葉です。
悩んでいたのが馬鹿らしいぐらいのスカッとする言葉でした。
ミスターマイナス思考と呼ばれる私。反対に妻は太陽のような人で超前向き人間、ホントに毎度助けてもらってます。

とにかく「なんとなかなる」という考えの持ち主で

  • 子供が生まれたばかり
  • 意外と給料が良い(住宅手当もほぼ満額)

上記のような理由で辞めることを渋っていた私の不安を一瞬で吹っ飛ばしてくれました。

という訳で生まれたばかりの子供と産休の妻、無職の私の3人がずっと一緒にいるという生活がスタートしました。
結果的には職業訓練校やWEBの学校にも通いながら7か月間無職が続きました。7か月も無職でいるといい加減に働きたくなります。

その7か月は夢のような期間で、普通生まれたばかりの子供と、さらには奥さんとずっといられるっていう経験は日本人ではあまりできないことであり、今思えばとても良い経験をしたと思っております。むしろ子供が生まれて会社を辞める、または今の時代は男性の育休もあるのでホントにおススメです。

プライベートがなかった三軒茶屋のWEB制作会社(逃げポイント3)

物流会社の1年目後半に商業施設立ち上げの担当になり、広告代理店の方々とクリエイティブな仕事をさせていただきました。
当時はようやくひとり1台パソコンが配られ始めた時代、そしてホームページとやらがチラホラ出て来た時代です。私も自分のPCを買い絵を描いたりと色々面白がっている時代でした。

そんな流れから「次はWEBだな」と薄っすらと考えていたこともあり、無職時代はWEBサイト制作の学校に通いました。
「面白い!」。という訳で迷わずWEBの世界に飛び込もうと決意したのですが、何せ30過ぎの全くのおっさんで、しかも超初心者です。でも私はこう言ったところに飛び込むことは苦手ではなく、意外と採用されるのでは!という変なところにプラス思考が働く人間なので、求人を探し三軒茶屋のWEB制作会社の面接を受け見事採用されました。

遠い!しかも「出社初日、及び2日目が徹夜!」だったんです!!!
しかも超初心者の私に「この案件ディレクターやって。」という指示。WEB業界は初めてなのでディレクターが何たるものかも分からぬまま、色々聞きながらやってみました。

で、その後も夜中や休みまで自分のプライベート携帯にお客さんや業者から電話がかかってくる。
流石にこれは妻の方から「これは辞めた方がいい」という判断が下されました。入社1か月でその会社を去りました。

横浜のWEB制作会社で鬱になる(逃げポイント4)

次に拾っていただいたのは横浜のWEB制作業者。
こちらは今でも大変お世話になっているのですが、2010年後半色々なことが起こり私は呼吸も浅くなり、眠れなくなり、さらには電車に乗れなくなりました。

これが噂の「鬱」か。私のように今までずっと健康優良児で生きて来た人間にとって「まさかオレが?」と自分を疑いました。
駅まで行くけど改札に入れない。。。
同僚に相談したところ「心療内科」を紹介されました。心療内科を知らなかったぐらい自分には縁のないものと思っておりました。

3日休んでは出社しようとしてもダメ、1週間・・・10日・・・と長くなり、経験者の話を聞くと「鬱になった場合は短い休みでは結局会社のことを思い出してしまうので意味がない。1~3ヵ月ぐらいは休まないと」というアドバイスをいただきました。
そして2011年1~3月までお休みをいただきました。

当時子供は保育園。送り迎えや家事をやっていたのを覚えています。
妻からは「大丈夫、私が働くから」と強い言葉もいただきました。本当に感謝してます。
ちなみにずっと共働きです。

そして2011年3月11日。あの東日本大震災が起こります。
テレビをみれば死者行方不明者がどんどん増えて行く。家族を亡くした方、そして仕事を無くした方。働きたくても働けなくなってしまった方々がテレビに映ります。

「オレ、何やってんだろう?」

働きたくても働けない人がたくさんいるのに。さっきまで普通に話していた家族が急にいなくなってしまったり。
オレは働けるのに休んでいる。家族も一緒に。
オレ、何やってんだ、家もあって仕事もあって家族もいるのに。とホントに情けなくなりました。

という訳で4月から時短ではありましたが復職し結果的には15年以上お世話になっております。
会社がブラックという訳ではないのです。私の仕事のやり方に問題があったのかもしれません。会社はずっと私の机を残しておいてくれました。
今でも感謝しかありません。

100kmウォーク大会に誘ってくれた恩人

大学までずっとスポーツをしていた私。だったのですが、就職後はたまにフットサルに誘われたり自転車乗ったりぐらいであまり運動をしませんでした。やはりなんとなく調子が悪いという感覚がありました。

鬱になってしまったのも、家と会社の往復の世界だけで生きていたこと、やりたいことができていない自分の身体が反応したんだと思います。
その時「100kmウォーク大会あるけど一緒に出ませんか?」とお誘いがありました。

誘っていただいたのはそのWEB制作会社のお客様(飯田様)で、ご自身も鬱のご経験がある方でした。しかも私よりも全然ひどく自殺まで考えたという方です。

飯田様は御年60歳。その大会には過去数回参加しており、全て完歩しているとのこと。スゲー。
私は願ったり叶ったりで迷わずその大会にエントリーしました。
まず考えたのは「飯田様には絶対に負けないこと、負ける訳がない」と。
(その大会は順位を競うものではありません、はい。)

運動してなかったとは言え、運動自体には根拠のない自信があったので特に練習もせず当日を迎えました。しかもノープランで。

飯田さんには5時間差をつけられ、キズだらけてゴール。。。

自信があった私は休みもせずに歩き続きました。
そしたらなんと「そんなに頑張っちゃだめだよ」と笑顔で抜き去っていく飯田さんがいる!

何言ってんだ?あとで抜かすよ。と余裕をかましている私でしたが・・・50kmを過ぎたところで両足にマメができました。
もうそこからは地獄です。痛いの痛いの・・・ずっと牛歩です。足をかばいながら歩くので別のところも痛くなるという負のスパイラル。
何度もリタイアしようと思いましたが、60歳の飯田さんの顔と「100km歩いてくるぜ!」と余裕でゴールできるかのように宣言した手前、ここで止める訳にはいかないと何とかゴールを目指しました。

もうゾンビ状態です。でもそれは私だけではなく、多くの参加者が同じ状態になります。特に歩き慣れていない人はほぼゾンビ状態で、大会中はゾンビ同士で仲間ができます。「あぁ、あなたもぉ。」と。

そしてスタートから約29時間でボロボロになりながらのゴール!
なんと飯田さんは24時間でゴールしており、私がゴールした時にはもう横浜へ帰ってビールを飲んでいたようです。

「二度とこんな大会にでるもんか!」とマメだらけの足を数日間引きずり、60歳のおじさんに余裕で負けて「オレは運動ができる」という自信もガラガラと音を鳴らし崩れました。

このままでは終われない(反撃の狼煙)

悔しくて悔しくて。仕事では逃げて来ましたが、運動に関してはこのままでは終われない!
あれだけ二度と出るか、と言っていた私。「次回は24時間以内にゴールを目指す」ことを目標に準備を始めている自分がいました。

  • 15km毎にしっかり休む
  • 5本指ソックスを30km毎に履き替える
  • 普段から運動をする

着るもの持ち物も色々変わりました。
次の年の大会にももちろん参加し、見事21時間でゴールできました。
しかも身体に何のダメージもなく、前年の自分の状態がウソのような感覚で「戦略、準備の大切さ」を知りました。

また夜中も暗い中ヘッドライトひとつで歩き続けることで、今までのこと、これからのことをゆっくり考えることができました。
この「暗い道をひとりで歩くこと」は後にマインドフルネスに出会うきっかけになったと考えております。
自分に集中して心の声を聞いてみる。進む、休む、食べる、飲む。調子が良い時にあえて休む、等の心の選択肢を持つことができるきっかけになりました。

この100kmが私の人生の大きな転換期になったことは言うまではありません。この後の人生、仕事、対人関係に役立ちました。
なので飯田さんは私の人生を変えるきっかけになった恩人です。

逃げるように独立(逃げポイント5)

2018年9月、私は独立いたしました。
独立と言ってもカッコいいものではありません。それこそ逃げるように独立したんです。

やはり人間関係だったのかもしれません。ここまでくると自分の身体が壊れていく兆候が分かるようになってました。
でもそれに気づくことができたのは走って歩き続け自分の声が聞こえるようになったからです。

「やりたいこと」と「やりたくないこと」。人間はこの「やりたくないこと」が大半を占めてくると身体が悲鳴を出します。
もちろん長い時間悩んで悩んで悩みました。色々な人に相談しました。でも決めるのは私です。

他人は変えられません。変えられるのは自分だけです。
こんなことはいくらでも本に書いてある。

このままではいけない。環境を変えなければまたダメになる。。。

天使の声「いいよ!なんで辞めないの?」

妻の声です。神様です。
また逃げるようで「オレは逃げてばっかだなぁ」とダメ人間のレッテルをおでこに貼っていた当時。
恐る恐る一緒に散歩中に声に出してみました。

もうなんでしょうね、きっと分かっていたのかもしれませんね。
拍子抜けです。今思えばなんであんなに時間を掛けて悩んでいたんだろうと思うぐらい悩んでました。

私はいつもこうなんです。
悩んで悩んで進んで逃げて。それで結局は幸せになる。

私思うんです。

どんな決断をしても結局幸せになるんだな、と。

今の環境に感謝できること

いい家族に恵まれ、奥さんが神様で、友人にもお客さんにも新しい出会いにも恵まれ。

100km挑戦以降、今の自分のこと、周りの環境にとても満足できるようになりました。
そしてその瞬間瞬間で選択肢がたくさんあることにも気づきました。

鬱になってから走る、歩く以外に自然と始めていること、続いていることもあります。
私はそれが立ち直った理由と考えております。

逃げて来たのは上記のことだけではないはずです。
が、きっとこれも自分の心の声をしっかり聞けるようになったからこそ壊れる前に判断できるようになったんだと思います。

そして「行動できること」「継続できること」

走って歩いて人生が変わったこと。今までは単純に「走ること、歩くこと=健康に良い」程度の考えではいましたが、これはもっと突き詰める、勉強してみると「運動することは脳への影響がかなりあるんじゃないかな?」と真剣に考えるようになりました。

元々運動することは大好きです。24時間、いや私が今やっているトレイルランニングは40時間以上走り続けますので、お金を払ってこんな苦しいことをするなんてもう「好きなこと」に間違いありません。

私の場合はたまたま好きなことがトレイルランニング等24時間以上動き続けるという他から見れば「変態」と呼ばれるようなスポーツが好きなんです。
なのでこの運動、好きなことが与える人間への効果を自分を実験台として変化、幸福度等を調べて行きたいと思っております。

足るを知ること=今の状態で十分幸せなこと。ないものではなく、今持っているものを使いこなす。

これを教えてくれたのが走って歩く「運動」だったんですね。

今まで色々な人に助けられてきました。
今度は私が助ける番です。私の番です。

過去の私のようにサラリーマンは色々悩みます。そんな方々に良いアドバイスができればと考えております。

まずは身近な大切な人を助ける(近くに鬱予備軍の方はいらっしゃいますか?)

皆さんの身近な人に何か変化はありますか?

  • 表情がなくなった
  • 自分をダメ人間だと言い始めた
  • 声が小さくなった
  • あまり寝ていない
  • 帰りが毎日かなり遅い
  • 会話がなくなった
  • 大丈夫、大丈夫が口癖になっている

自分で言うのも何ですが、鬱になる人はとってもマジメな人です。

小さなことでも適当にできません。そんなことまでする必要があるの?と求められていないレベルを目指す傾向があります。
そして断れない。人に任せられず全部自分で抱えます。

そんな人たちを救いたい。頑張っている人を救いたい。
もしこのような方が自分の旦那さんだったり奥さんだったり、お子さん、友人だったらと思うとホントに私も苦しいです。
私はあの経験があったらから今があると今になったから言えることです。ただ、鬱予備軍の方にそんなことを言ってもどうしようもないんです。

私もそうでした。
「それって克服できたから言えるんだよ」と。

周りの方もどう接したらよいか分からないと思います。
頑張れ、なんとなかる、なんて言葉は何の励みにもなりません。

ただそのままではそのままなんです。
何か少しでも「変化(行動)」が必要なんです。

私は最初下記のようなことをしました。

  1. 日記を書く
  2. 掃除をする
  3. 運動をする(歩く)

1.日記を書く

これは今でも続いています。とにかく前向きなことも後ろ向きなことも書く。
最初はマイナスなこともOK。誰にも読まれることはないのでとにかく思ったことを確認です。

ただ1つだけ条件があります。

「ペンを止めないこと」

とにかく書き続ける。思ったこと、頭の中にあるものをなんでもいいから書く。
書くことがなかったら「書くことがない 書くことがない・・・」ってずっと書くんです。

時間を決めるといいですね。慣れてきたらテーマを決めてそのことについて書き続ける。

2.掃除をする

鬱状態になってくると周りが散らかってくることがあります。散らかり度が私のメンタルメーターのようなイメージです。
あ、散らかってきたなぁ、ちょっと精神的に参ってきてるかもなって感じです。

私は当時「掃除をすることは行動することの最小単位」だと思ってました。
でもここ数年さらに簡単にできること、変化できることを発見しました。

これについては別の記事でお伝えいたします。

3.運動する(歩く)

なかなか鬱状態、鬱予備軍の人が自発的に表に出て運動することは難しいかもしれません。
可能であれば近くにいる人が誘って一緒に歩いてあげてください。

できれば緑のあるところ。近くの公園でも木々がある場所を意識的に歩きましょう。

「グリーンエクササイズ」と呼ばれ緑の中を5分でも歩くと心身ともにリフレッシュされることが分かっています。

と簡単にではありますが、私が今でも続けていることをご紹介いたしました。

これらについては別途記事にてご紹介していく予定ですが、ヒントは「マインドフルネス」です。
「自分の呼吸に注意を向けて今の自分の状態に気づくこと」

私は現在友人と一緒にこのマインドフルネスを日本に広める活動をしております。
リーダーシップ、ストレスマネジメント等、企業への研修にも提供したり、または個人的に集客した方々とマインドフルネスとトレッキングを合わせたイベント等も行っております。

マインドフルネスとトレイルランニングへのお誘い

そして元気になったら是非、いや元気でなくても是非、一緒にトレイルランニングをしましょう。
私は歩くことがきっかけになり、ロードを走るマラソンから山を走るトレイルランニングに移行し走り続けています。

トレイルランニングの良いところを挙げるとキリがないのですが、運動とグリーンエクササイズ、そしてロードのランニングでは味わえない達成感を経験することができます。

どうせ歩く、走るなら是非トレイルを走って歩いてみましょう。いつか一緒に走れることを祈っております。

また自分の呼吸に注意を向け、「今の自分」を意識してみましょう。過去のこと、未来のこと、他人からどう見られているかを考え続けるばかりでは疲れませんか?

人間はボーっとするとネガティブなことを考える癖があります。ボーっとしててもボーっとできず、疲れてしまいます。
自分の呼吸だけに注意を向ける。ネガティブなことを考える時間を無くさなにまでも少なくすること。そして今の自分で十分なことに気づくこと。

この「気づくこと」がマインドフルネスです。
歩くこと、走ること、日記を書くこと、実はこれもマインドフルネスのひとつだったんです。私は「マインドフルネス」という言葉を知る前から「マインドフルネス的なこと」をやっていたんです。

それが今の自分につながっていると信じております。
自分のことをダメ人間だと思い続けて来た自分が、マインドフルネスによって、「今に気づく」ことによって今の自分になりました。

この過程を皆さんに紹介したいと考えております。

そして「鬱のない」「大切な人の元気な姿」「好きなことをして生きる」「自分の人生を生きる」、そんな世界を目指して情報発信をしたい

あなたは自信を持っていい。今のあなたで十分です。カッコいい、ステキなんです。

マジメで頑張っている人がつぶれて行く、そんな世界がなくなることを願っております。

 

散歩で世界一周しませんか?

コロナの影響でランニング大会が中止になっています。そんなランナーのため、走る機会を持とうとランニングアプリ「Strava(ストラバ)」を利用し、皆さんが走ったり歩いたり距離を合計して世界一周をしています。
初心者、三日坊主大歓迎です。距離や頻度のノルマは全くありません。急かされることもありません。自分のペースで皆さんご参加いただいております。
どうせ散歩するなら是非一緒に世界一周しましょう!
ひとりで走って歩いてみんなで世界一周